幸せになりたい2児ママブログ。

沢山の恋愛。離婚、再婚…それでもまだ男性を信じる事が出来ず、愛が何か幸せとは何なのかわからない。自分を信じる事もできない。私は母親失格。そんな過去の自分を見つめ直し、自分を変えることから逃げないと決めた。35にして生まれ変わるの。そう、幸せになる為に。

離婚後

いつどうやって家を出てきたか

おじいちゃん、おばあちゃんに

別れを告げた記憶もありません…

気付けばボロボロの市営住宅

親子3人暮らしが始まるのです。

その時私は小学5年生。

学校が変わり、馴染めず…嫌われないように大人しくしていました。大人しく優しい子数人が声をかけてくれ、友達も出来ましたが、素の自分はなかなか出せなかった。

同じ市内の学校への転校だったので幼稚園が同じだった子が数人。。そう、私がいじめっこのクソガキ時代だった頃の…視線は冷たく、ありもしない噂話を流されたりもありましたね。その頃にはわきまえていたのでじっとこらえ、静かに過ごしやり過ごした小学時代。

この頃から猫をかぶることを覚えました。

家に帰ると、母はパートで不在。

2つ下の妹と二人家で遊んでいると決まって家の電話が鳴り

「パパだよ。家の近くの〇〇商店の近くにいるからおいで。お小遣いあげるから」て。

なにが小遣いだよ、今更。

子供の金盗んでまでパチンコ行ってたくせに。

金返せ。嘘つき。

小5ですよ、こんなこと思っていました。

もちろん妹にも行かせなかったし

私も行かなかった。

数日続いたけど

行かなかったらある日を境に

電話も会いにも来なくなった。

やっと外で遊べる。

そう思いました。

 

もう私の中で父親は敵のような存在でした。

 

ドラマの中にある幸せそうな家庭

あれが普通なら、うちは父親のせいでそうならなかったんだと子供ながらに解釈していました。

はじめての自分の貯金箱。

小学生に上がったばかりの頃の記憶です。

狭い寝室にある私の勉強机。

大嫌いな狭い部屋が机がある事で

小学生のわたしには

引っ越したかのような新鮮な気分🎒♪

るんるんで帰宅した小1の春

部屋に入ると

床に散らばった一円玉…

机にはペンチと

ぐちゃぐちゃに変形した

赤いキティーちゃんの缶の貯金箱…

え…?

初めて頭真っ白になりました。

その光景を見た瞬間に

あ、パパだ

と直感でわかりました。

1円玉だけ綺麗に部屋に散乱していました。

…あの状況

頭がおかしいとしか思えない…

父はギャンブル依存症だったんでしょうね。

私はあれからお金を貯めることをやめました。

盗まれるから

お小遣いはすぐに近所にある小さな商店で

お菓子や折り紙やぬりえなどに

変えるようになりました。

現在の私は貯金したくても出来ない35歳。

やはり今も使い切ってしまうんです。。

お金を使い切ることばかり考えてきたから

貯め方がわからない…w

 

 

いじめっこな私

家ではよく妹と

狭い寝室で静かに遊んでいました。

 

ひそひそ声を潜めながら

布団で遊ぶんです。

布団を積み上げて、山に見立ててみたり。

布団に包まってみたり。

 

 

基本的に日中は外で遊んでいました!

今じゃなかなかありえないですが

幼稚園児の私も近所をウロウロ、

妹を連れて遊びに行ったり

近所の子供たちと遊んだりしていました。

 

 

母は…なにしていたんでしょう

パートかな?

 

父はギャンブルばかりで仕事もまともに行かず

母や祖父と喧嘩していた記憶がうっすら🤔

 

 

車もない、お金もないから

土日デパートに行ったりすることもなく、

旅行も遠出も記憶がない。

 

 

いつもお出かけしたい!って思ってました(>人<;)

 

 

私も結構ストレスあったんだと思います…

 

 

幼稚園ではかなりワンパクで

クソガキでした。。

1人対、他園児って感じだったようです。

 

アスレチックの上から下から登ってくる子を蹴りまくったり、服を引っ張り背中に砂入れたり…

それくらいの記憶しかないですが

記憶がこれだけって…

絶対やばいクソガキだったんだと思います。

 

 

昔幼稚園時代私に嫌なことされた子へ

嫌なことしてごめんね。

本当にごめんなさい。

 

父親って

父親は全く家に居ない

家族団欒を過ごした記憶がないと

言いましたが

仕事漬けだったのではありませんよ。

 

仕事は大工をしていたようでしたが…

仕事に行かない事で

母ともめていた記憶があります。

 

 

朝から晩までパチンコです。

 

 

正月にはいつも居ない父が祖父母の家に現れて

その日だけ私や妹とお風呂に入るのです。

子供だからはしゃぎますよ、そりゃ。

嬉しくなりますから🚿

 

そんな祖父母や母の居ない状況で

父は私に小声でこう言うのです。

 

「お年玉、貸してくれたら

明日増やして返してあげるよ」…と。

 

 

父親と交わした会話で

覚えてるのはこれだけです。

 

 

 

私の始まり

もう35歳の私の記憶。

何十年も昔の事だから

記憶が薄いのかはわからないが

周りの友人と話していると

私の幼少期の記憶は随分と人より少なく

暗いものに思えることがこれまでに

何度もありましたね👨‍👩‍👧‍👧

 

色々これから書いていきますが

まず、文才も学力もありませんので

先に謝っておきます。

ごめんなさいね🙇‍♀️w

 

 

 

幼少期の家族構成はこうです↓

母、父、私、2つ下の妹。

 

1LDK、キッチンとトイレは有るが風呂なし。

車二台分の車庫の上に建てられたプレハブのようなスペースに私たち4人家族は暮らしていました。

唯一ある奥の部屋はタンスがあって

2枚の布団を敷いたらいっぱいいっぱいの部屋。

母と私と妹の3人はそこに寝ていました。

 

父はキッチンのある茶の間に布団を敷いていた。

一見、独り暮らしの部屋のような感じです。

ソファー、テーブル、テレビ、1組の布団。

いわゆる敷きっぱなしの万年床ってやつ🕸🕷

 

 

父の布団の傍には山積みのパチンコ雑誌とエロ本。

狭いトイレには

女性のヌード写真のカレンダーが貼られてた。

 

 

お風呂ですか?

そう、お風呂はついてなかったのですが

父の両親…

いわゆる私の祖父母が

外階段を降りてすぐ

同じ敷地内の大きな一軒家に住んでいたので

毎日そこで夕飯と入浴を済ませていましたね。

 

少しイメージついたでしょうか??👨‍👩‍👧‍👧

 

文才ないのでね…イメージ出来ているか不安ですww

 

 

 

父はね、基本的に朝から晩まで居ません!

いつどこで寝て居たのでしょうね…

ご飯を家族4人で団欒した記憶は一度もありません。

 

 

 

 

ちょっと休憩🤧

G1グランプリ見なきゃ。

キタサンブラック🐴←馬券は買ってません。